次の日から、体重計に乗ると更に体重が減り始めた。以前は食べ辛かったふすまパンにも次第に慣れてきて、スープなどに浸したり、ハムや野菜のサンドイッチにして食べるようになった。以前は、自いパンと同様に考えていたため、何もつけずに食べていたのが美昧しくなかったのだ。

このように、糖質制限食を開始したばかりの最初の1週間は、まさに悪戦苦闘の連続であった。2年半を経過した現在から考えると非常にプリミティブな初歩の初歩の糖質制限食である。

今、冷静に考えてみると、私か当時毎日1キロずつ痩せていくことが出来だのは、糖質制限食プラス、カロリー制限の効果も加わっていたように思う。というのも当時はまだ肉や魚を沢山食べてもいいという「満腹ダイエット」的な習慣に慣れておらず、糖質を制限するだけでなく、食事量そのものが少なくなってしまっていたからだ。

この結果、必要なエネルギー量を食事から摂っていなかったため、エネルギー不足となり、フラフラになっていた。

だが、当時の私はそれでも必死に取り組み、エネルギー不足で倒れそうになるのも糖質制限を乗り越えるための「試練」だと思っていた。今に考えると何ともけなげな話である。

その苦労の甲斐あって、糖質制限を始めた最初の1週間で体重は7キロ減った。だが、ふすまパンがあるので、これを沢山食べると、多少なりとも糖質を含んでいるため、どうしても体重が戻ってしまう。

特に、最初の3日間は毎食飢えたように、ふすまパンを食べたので、朝、量ると逆に2キロ増えていた。その時、糖質を摂ることで体重は、非常に敏感に反応し、たちまち体重として現れることも分った。そうこうするうち、10日目に病院の検査があった。

結果は前回より明らかに改善し、体重も5キロ減だった。もし、ふすまパンを大量に食べていなければ、糖質制限10日目で7キロだったのにと私は悔んだ。

自宅に戻って、妻に検査結果を報告し、糖質制限食が目覚しい効果を挙げていることを説明した。それを聞いて、吉村も大いに喜んでくれた。こうして我家の食事も、本格的な糖質制限食へと移行するメインスイッチが入ったのだ。

 

3日目、4日目も同じようなメニューの繰り返しで、これは先行きどうしようかと思い始めた頃、京都高雄倶楽部に発注していた糖質制限食の「ローカーボふすまパン」が届いた。

このふすまパンは100g中に含まれる糖質は3・9gで安心して食べられるとあって、その到着を心待ちにしていたのだ。だが、冷凍で届いたそのパンは、凍ってガチンガチンで、切るだけでも面倒臭かった。だがパンであるだけで有り難かった。それをレンジで解凍してから夜、主食の代りにバターを塗って食べる。

正直言って味は少し期待はずれで、あまり美味しいものではなかった。だが、主食としてパンが食べられるのは大きかった。このふすまパッの到着から料理に少しバリエーションが増え、ハムやソーセージ、肉を焼いた時に重宝した。

こうした生活を続けるうち、自分でも手応えが分る「瞬間」が訪れた。糖質制限食を始めて1週間程経った時の昼だった。昼食を食べていると、突然「ポン」と音がしたような気がして、急に気が楽になった。

汪部氏や宮本氏の著書を繰り返し読んでいるうち、メインスイッチが入る瞬間があるというので「ああ、これだな」と自分で分ったぐらいだった。この日から体重がみるみる落ちていき、1日2キロぐらい減って、開始1週間で7キロ減となった。

ところが、その直前の5日目ぐらいが糖質の「最後の抵抗」で、最高にツラかった。糖質が無性に摂りたくて仕方がない。頭で食べる気もないと分かっていても、戸棚の中の乾麺類を探し、表示を眺めてはまた元の場所にしまったりした。冷凍のふすまパンにもすぐに飽き、半分を切った所で食べるのが嫌になった。

1番辛かったのは心の不安である。糖質が入ってこないため、脳が心に命令しているのか「こんなこと、何時まで続けているんだ」という思いがこみ上げてきた。

それに打ち克つだのは、「理性」と「情報」である。江部氏の著書を最初に読んでいたので、これは、糖質を多く含む食事を長年続けてきた結果の、糖質過多の禁断症状だと思い「とにかく今度だけは、糖質は取らないよ」と自分自身に命じた。すると、1週間目を過ぎたあたり(人によっては10日目あたり)でポーンとメインスイッチが入り、身体も心もツキが落ちたように楽になったのだ。

身体のエネルギーシステムが、それまでの「ブドウ糖・グリコーゲンのシステム」から体脂肪を燃やしてエネルギー源とする「脂肪酸・ケトン体のシステム」に切り替る瞬間だ。ここまでが第一関門である。